さて。
犬ショの後は「ついで」と言う名の下に遊ばなくてはいけない。。。
というオキテが存在する当家。

どうでも良いことであるが、私はほとんどリアルタイムテレビを見ない。
その代わりと言っては何だが、イザ「気に入った!」となるとバカみたいに同じ物ばかり繰り返し見る。
私のDVD鑑賞につきあう連中もめんどくさそうであるし、私が「DVDつけてくれ!」と騒ぐたびにセットしてくれる娘も大変だと思う。
昭和の遺物のワタクシ、DVDの録画はおろか再生もよくわからないのだ。
なお、現在「私的毎夜DVD鑑賞」ターゲットとなっているのが、某NHK放送「軍師官兵衛」である・・・

でだ。 いまや戦国時代がマイブームになっているワタクシ。
タイムリーな事にショー会場から帰りがけの道中 関ヶ原を通過する・・・
うん。天下分け目の「関ヶ原」だよ!
ちょっと寄ってみることにしようではないか。 エセ歴史好きの血が騒ぐってもんです。

「いつでもどこでもアヤシイごっこ」の図。
ベル子&パーは草むらのアヤシイにおいに血が騒ぐらしい。

アヤシイごっこはどうでも良いのであるが。盆地周りの小山登れば陣地らしい。

「山道登って馬防柵こえたら石田陣」の図。
結構キツイ山坂であった・・・
登り切って元気なのは人間娘とベルパーキーある。若いってスゴイね。

「西軍 石田陣地から戦場をのぞむ」の図。
集団で顔だけ出してるとなんか妙だね。 コレを「カワイイカワイイ」と写真撮った私もかなり妙だね。

ところで。
実際に関ヶ原に行ってみたらば。
・・・・・想像よりずっと(というよりも、言うなればヤタラに)狭い戦場であった。。。
ってか、この狭い戦場にざっと15万人ぐらいの武士が集結してワラワラ戦っていたわけか? おお!それは大変だ!
なぜならば。
想像してみよう・・・その狭さたるや。 いうなれば「体育館に全校生徒が集まったレベル」の暑苦しさ&人口密度。
そんな足の踏み場もないような状態で天下分け目の戦があったというのか?
それは・・・・なんとも色々感慨深い。。。。。

なお、実際の地形陣形を見てつくづく感じるに。 メッケル少佐ではないが「何故この陣形で石田光成が負けなくてはならんのだ?!」と思わず口にだしてしまうほど 極端な「西軍 石田有利陣形」であった・・・
単純な当家。「にっくき小早川」の一言を捨て台詞に帰路についたのである。

あれ?まてよ、黒田は東軍だネ。 西軍ばっかり見聞してて東軍のウンチク見聞を忘れてしまった!
まあ、次回は東軍陣地巡りとシャレ込もう。

といいつつ。
ワタクシ、西軍 石田に与した宇喜多氏のお膝元 岡山城下近辺の出である。
おそらく潜在的 西軍贔屓なのだ。 
しかしながら、現住所は東軍徳川のお膝元。 
・・・・公平な見聞とはこれいかに。 まあ適当でヨシである。